毎年、9/3には同じようなことをブログに書いてるけど、今年も書こう。
ブログなんて、所詮、自己満足の世界だ(笑)。
18年前の今日。
名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)のコンサートをもって、
光GENJIは解散しました。
正確には、19年前の夏、光GENJIから2名脱退して、
光GENJI super5と言うグループ名になっていたんだけど、
このグループ名は全く馴染まず浸透せず、ファンの記憶の中でもなかったことになってると思う。
私達の記憶の中の光GENJIは、7人の光GENJIだから。
5人になってからはシングル2枚、アルバム2枚は発売したと思うけど、
テレビの出演も数えるくらいしかなかったと思う。
19年前の2名脱退の時は、Mステの生放送で突然発表。
混乱したわ。
テレビ朝日に問い合わせが殺到したらしい。
今だったらツイッターのトレンド入りだ(笑)。
2名脱退してから1年間コンサートがなかった。
1年ぶりの夏コン(大阪・横浜・名古屋)の振り込めが終わって、FCから封書が届いた。
解散のお知らせだった。
5人になって初めてのコンサートが解散コンサートになってしまったわけだ。
私は横浜と名古屋を全公演参戦した。
その時の横浜アリーナでのコンサートの記憶があまりないんだけど、
名古屋レインボーホールの2日間4公演の記憶は、今もはっきりくっきり覚えている。
実に鮮明に。
席まで覚えている。
1日目が終了して、当時のファン友5〜6人で居酒屋へ行き、そしてファン友3人でホテルに泊まり、
2日目は、車で来ていた別のファン友が車を出してくれて、車で会場付近まで乗せて行ってくれた。
2日目、つまり18年前の今日の笠寺駅は、特に異様な雰囲気だった。
チケットのない人達も大量に会場に来ていた。
会場の外で音漏れを聴き、一緒にラストを迎えるファンも大量にいた。
コンサート前からファンの様子を取材するメディアもいた。
どこかの芸能ニュースに私、映ってた(汗)。
会場付近をファン友と、とぼとぼ歩いていたよ…。
異様な雰囲気と言うのは、ネットが普及していなかった時代だったので、
本物のダ○が大量出現と、ファンのダ○化がそれ以上にいたこと。
ごく普通のファンが高額取引をしていたよ。
ちょっと試しに声をかけると、何でもないスタンド席でも一律50万だった。
今の嵐並みか、それ以上かしら。
何しろ18年前だから。
あとで、ダ○から12万で買った女子高生が逮捕されたニュースがあったけど、
たぶんみんな、12万なんて安い的な感覚だったと思う。
ネットが普及していたら、大変なことになっていたと思う。
私はダ○とは勿論無縁だけど、顔見知りと言うか、
光GENJI時代、コンサート会場に行けば必ずいるおじさんダ○がいた。
その人が「光GENJIの現場がなくなるのはさみしい」と言ってた。
別のダ○が「今から泣いてたら駄目だよ」とか言ってくれて、コーヒーおごってくれた。
ヤのつく人達なわけだけど、人情深い人達でもあった。
今のダ○の現場とはちょっと違うかもね。
その時のおじさんはどこ現場に行っても、もう見当たらない…。
滝翼コンの時あたりまではいたんだけど。
話しそれた。
ラストの場内。
会場中が号泣。
みんな声を出して泣いているから、それを思い出すだけで今も鳥肌が立つ。
その時の映像は、ファミクラからビデオが販売された。
レーベル販売ではないので、画質は悪かったけど、タカラモノだ。←ビデオだから今は観れないけど。
当時は、ネットもDVDもない時代だったからね。
よくよく考えたら、7人の光GENJIは7年間で終わった。
今のJUMPくんは今年、デビュー6周年で、7年目を迎える。
時代は違えど、7年と言うのはひとつの節目でもあると思う。
毎季節あったコンサートが年1になったり、仕事が途切れる感じに見えるかもしれない。
ここ2年位のカツンもそういう感じになってるよね。
ここからが本番なのかもしれないね。
「待つ」ことも応援のひとつだと思ってる。
とりあえず、今、冬の帝劇の詳細が気になる。
ではでは。
今日も笑顔で。
ブログなんて、所詮、自己満足の世界だ(笑)。
18年前の今日。
名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)のコンサートをもって、
光GENJIは解散しました。
正確には、19年前の夏、光GENJIから2名脱退して、
光GENJI super5と言うグループ名になっていたんだけど、
このグループ名は全く馴染まず浸透せず、ファンの記憶の中でもなかったことになってると思う。
私達の記憶の中の光GENJIは、7人の光GENJIだから。
5人になってからはシングル2枚、アルバム2枚は発売したと思うけど、
テレビの出演も数えるくらいしかなかったと思う。
19年前の2名脱退の時は、Mステの生放送で突然発表。
混乱したわ。
テレビ朝日に問い合わせが殺到したらしい。
今だったらツイッターのトレンド入りだ(笑)。
2名脱退してから1年間コンサートがなかった。
1年ぶりの夏コン(大阪・横浜・名古屋)の振り込めが終わって、FCから封書が届いた。
解散のお知らせだった。
5人になって初めてのコンサートが解散コンサートになってしまったわけだ。
私は横浜と名古屋を全公演参戦した。
その時の横浜アリーナでのコンサートの記憶があまりないんだけど、
名古屋レインボーホールの2日間4公演の記憶は、今もはっきりくっきり覚えている。
実に鮮明に。
席まで覚えている。
1日目が終了して、当時のファン友5〜6人で居酒屋へ行き、そしてファン友3人でホテルに泊まり、
2日目は、車で来ていた別のファン友が車を出してくれて、車で会場付近まで乗せて行ってくれた。
2日目、つまり18年前の今日の笠寺駅は、特に異様な雰囲気だった。
チケットのない人達も大量に会場に来ていた。
会場の外で音漏れを聴き、一緒にラストを迎えるファンも大量にいた。
コンサート前からファンの様子を取材するメディアもいた。
どこかの芸能ニュースに私、映ってた(汗)。
会場付近をファン友と、とぼとぼ歩いていたよ…。
異様な雰囲気と言うのは、ネットが普及していなかった時代だったので、
本物のダ○が大量出現と、ファンのダ○化がそれ以上にいたこと。
ごく普通のファンが高額取引をしていたよ。
ちょっと試しに声をかけると、何でもないスタンド席でも一律50万だった。
今の嵐並みか、それ以上かしら。
何しろ18年前だから。
あとで、ダ○から12万で買った女子高生が逮捕されたニュースがあったけど、
たぶんみんな、12万なんて安い的な感覚だったと思う。
ネットが普及していたら、大変なことになっていたと思う。
私はダ○とは勿論無縁だけど、顔見知りと言うか、
光GENJI時代、コンサート会場に行けば必ずいるおじさんダ○がいた。
その人が「光GENJIの現場がなくなるのはさみしい」と言ってた。
別のダ○が「今から泣いてたら駄目だよ」とか言ってくれて、コーヒーおごってくれた。
ヤのつく人達なわけだけど、人情深い人達でもあった。
今のダ○の現場とはちょっと違うかもね。
その時のおじさんはどこ現場に行っても、もう見当たらない…。
滝翼コンの時あたりまではいたんだけど。
話しそれた。
ラストの場内。
会場中が号泣。
みんな声を出して泣いているから、それを思い出すだけで今も鳥肌が立つ。
その時の映像は、ファミクラからビデオが販売された。
レーベル販売ではないので、画質は悪かったけど、タカラモノだ。←ビデオだから今は観れないけど。
当時は、ネットもDVDもない時代だったからね。
よくよく考えたら、7人の光GENJIは7年間で終わった。
今のJUMPくんは今年、デビュー6周年で、7年目を迎える。
時代は違えど、7年と言うのはひとつの節目でもあると思う。
毎季節あったコンサートが年1になったり、仕事が途切れる感じに見えるかもしれない。
ここ2年位のカツンもそういう感じになってるよね。
ここからが本番なのかもしれないね。
「待つ」ことも応援のひとつだと思ってる。
とりあえず、今、冬の帝劇の詳細が気になる。
ではでは。
今日も笑顔で。