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大阪城周辺観光→寄り道話し多し(汗)。

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先日、舞台「殺風景」大千秋楽を観に、久し振りに大阪へ。

 →東京駅・のぞみ号

私はヲタ活の遠征の時の新幹線は、指定席にしないの。

何時の新幹線って決められると、時間に縛られてしまう気がして。

その時その時の気分や状況やタイミングでの新幹線に乗る。

だから、自由席の車両なんだけど、必ず座れるし、
と言うか、いつもがらがらだったりする。

今回も、行きも帰りも「のぞみ」自由席。

がらがらでゆったり座れて、お弁当もビールも、気兼ねなく(笑)。

 →さすがにビールは帰りの新幹線のみですよ(笑)。

「のぞみ」が出来た頃は、のぞみ自体が指定席車両しかなかったけど、
今は、のぞみにみ自由席があって(1〜3号車)、便利だね。

のぞみ自体の本数が多くなったイメージ。


ヲタになる前、関西方面(京都・奈良・神戸・甲子園など・京都は何度も)には何度か旅行してたし、
ヲタ活でも、何度か大阪・京都に遠征しているけど、今回、ホントに久し振りに大阪へ来た感じ。

もう、何年ぶりなのか、記憶にないわ(笑)。

いつ以来だろう。

たぶん、赤坂氏のディナーショー@大阪帝国ホテル以来だと思うから、
うーーん、12〜3年ぶりかな。

妻子が発覚してから以来、赤坂氏はディナーショーをやらなくなったし。


あ。

話しそれた(汗)。


行きの新幹線では、富士山が見えたよ。

ちょっと靄がかかってる感じで、はっきりくっきりな富士山ではなかったけど。

富士山が見えると、心なしかパワーが貰えて、いいことありそうな気持になったりするよね。


新大阪駅からの大阪駅で下車して、予約してあるヘアセットのお店を探して、
ちょっとブラブラして迷ったりしたけど、大阪駅周辺がものすごく変わったイメージ。

私の記憶の中の大阪駅とは、全然違ってた。

そういうのも遠征の醍醐味だよね。

街(特に大都市)はどんどん進化していくものだもんね。


大阪の人は親切で凄く感じが良かった。

ちょっと迷った時に場所を聞いた時も、お店の人も、駅の人も、
みんな感じが良くて、遠征先だから余計に気分がイイ。

コテコテの大阪弁はあまり耳にしなかったかも。

電車の中でのおばさん達の会話くらいかな、コテコテの大阪弁を耳にしたの。


大阪駅から、大阪城公園駅で下車して、
まずは、シアターBRAVA!の場所を確認に。

 ←大阪城公園駅



大阪城ホールと川をはさんだ向かい側にありました、シアターBRAVA!。

大阪城ホールWikiのトップ写真に、
大阪城ホールとシアターBRAVA!が一緒に写ってる。

これ、たぶん、大阪城の上のところから撮ってるよね。


私が最後に城ホールに行ったのは、光GENJIの解散コンの1995年だと記憶しているから、
その頃は、シアターBRAVA!はまだなかったね。

城ホール前に行ったの、19年ぶりだ(驚)。


大阪城ホールに初めて行ったのは、確か1991年の光GENJIの冬のコンサート。

当時、光GENJIの主婦ファンのサークルに入っていたので(私は初期メンバー・笑)、
サークルの関東組6〜7人と一緒に新幹線で、日帰りで大阪へ。

当時、まだ子どもが小さい人ばかりだったし、私含めてみんな夫とかに子どもを預けて行ってた。

大阪城ホール前で、サークルの40人くらいが集合して、
当時流行っていた(?)パノラマ写真の集合撮影をしたりしてました。

当時のヲタ活は、私は20代半ばの頃で、子育て中でありながらも第二の青春って感じで、
めちゃめちゃ楽しかった。

勿論、当時はヲタ活なんて言うファン用語はなかったけど。

10人で始めた主婦ファンのサークルなんだけど、
メンバーがどんどん増えて全国に120人くらいになってたかな。

ネットが普及した今、たいしたことない感じに見えるけど、昔は、全てが口コミ。

光GENJIファンはサークルが主で、
私も主婦ファンのサークル以外、色々入っていたけど、
それでも120人の大規模なサークルはなかったと思う。

サークルでは色んな活動をしていたよ。

交換ノートとか、月1回の会報とか、コンサートなどで集まったりとか、
みんなでジャニショやファミクラへ行ったりとか。


話しは戻って、1991年の光GENJIの冬コンでは、
確か、2公演ともに11連番でチケット取った記憶がある。

昔は、11連番でも普通にチケットが取れたのだ。

チケット代も、当時は4000円だった記憶がある。

11人分を振り込む時に、44000円+手数料だった記憶があるから。


今なら、アリーナ会場でのジャニコンでは、外周とか花道は当然かもしれないけど、
当時、アリーナコンで、初めて、外周ステージと言うものが出来たの。

ローラースケートで走り回るからこそできたんだろうな〜なんて思ったし、
どの席でも、何回かは近くで見ることができて、画期的だ〜と思った記憶がある。

光GENJIから始まったものは多いよね。

団扇文化も光GENJIから。

1989年の夏コンで、グッズの団扇を販売してたの。

当時は、何故にグッズに団扇なのかって感じだったよ。

買ったけど(笑)。


で。

11連番はいずれもアリーナ席だった。←横アリで言うところのセンター席ね。

そのうち1回は、外周下。

11人が全て外周下になるような所で笑った。

城ホールの外周って、手が届くんだもん。




あ。

また話しそれてる(汗)。


城ホール前の待ち合わせに使われる噴水は健在。

 

私が城ホールに行く時は、人でいっぱいのコンサートの日だから、
この日は、閑散としていて、何だか記憶の中の城ホールとは違うような気がしました。


この日の大阪城ホールでは、コブクロの色んな宣伝の大型トラックを含めて何十台とあって、
コンサートの設営中だったっぽい。

ヘルメットを被った工事現場にいる方々のような人達が大勢いて、
トラックから荷物を出したりしてたよ。

調べたら、コブクロのコンサートは、6/3・4。

そのための準備だね。



そして、大阪城へ。

昔々、今はなくなってしまったけど、大阪の近鉄劇場で、
赤坂氏と大沢氏主演で「SANADA」と言うミュージカルを上演したの。

1992年くらいのことだったかな〜。

勿論、観に行った。

題材は、現代人が400年前にタイムスリップして、大阪城に来てしまったお話し。

真田十勇士が戦に行くんだけど、タイムスリップして来た現代人は結果がわかっているので、
必死で戦を止めるんだけど、それでも戦うと。

その現代人が、源秀頼そっくりの設定で、
秀頼の妻は、現代人に、本当は真田幸村が好きだと打ち明け、
だけど、戦の無事を祈ることしかできない風な歌があって、切なかったよ。

その時の音楽担当と、真田十勇士の1人を演じていた村治さんは、
現Jr.で三味線と言われている、村治くんのお父さんです。→現在、六代目杵屋勝四郎。

歌舞伎界でも活躍し、滝様舞台などでも音楽を担当し、
Jr.達に三味線なども指導している。

今も、大沢氏や赤坂氏と交流があるみたいだよね。


そのミュージカル「SANADA」の舞台になってる大阪城天守閣

でっかくて綺麗なお城だったな。

お堀も大きいし、高い所にあるのは、戦のためでもあるんだものね。


そのあたりをひっくるめて、大阪城公園と言うんだね。

大阪城公園
大阪城公園


写メを適当に。






  

  







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